ちょもらんま双極ライフ〜ADHDをそえて〜

躁うつ病、軽度ADHDのはらぺこクマののんびりブログ

理解のない共感がつらかった・・・

うつ病の人に「がんばれ」という言葉をかけてはいけない。

よく言われていますが私はあまりきになりませんでした。

一番体調が悪い時は正直その「がんばれ」すらもとどいてなかったんじゃないかとおもいます。

私が本当にしんどかったことは「理解のない共感」です。

 

うつ病発達障害の人がつらいと思うことや悩んでいることは少なからずみんなが思っていることなんです。

なので例えば「物忘れがひどいんだよ・・・。」という話をすると

「私もものわすれくらいするよ~。皆そんなもんだって~。」という感じになるんです。

別に悪意があっていってるのではなく「私もそれくらいはあるから大丈夫だよ。」と励ましてくれているんです。

皆忘れたりミスしたりすることがあるのはわかるんです。

その物忘れの度合いなんですよね。

私は調子が悪い時は会話をして「うん、わかったよ~。」と言った瞬間何のことだったっけ???とわからなくなったり昨日買い物に出たのか家に一日いたのかわからなくなってしまうこともあります。

買い物から帰ってきて冷蔵庫を開けたら今日も買ってきた牛乳が4本待ち受けていたこともあります。

確かに物忘れなんて皆します、だからそんなことか・・・と思うんですよね。

 

じゃぁ「頑張れ」も共感もできないなんてどう接したらいいんだ!!!と思いますよね。

正直自分で書いていながら、自分で思っていながらなんてめんどくさいのでしょう・・・。と思います。

私の考えでは「がんばれ」も共感もいいんです。

相手を思ってのことだったら。

あなたが考えている以上にひどい状態かもしれないし本人がいっぱいいっぱいで小さなことでも爆発してしまっているのかもしれません。

自分は気にしないような事でなぜこんなに悩んでいるのだろう?と少しだけ考えてくれたら・・・わがままな感情だとは思いますが、とても助かります。

 

 私が感じたのは本当に私の事を思っての「がんばれ」や共感は救われます。

どう接していいかわからないこともあると思います。

でも私はしんどい時にそばにいてくれた人を大切に思いたい。

一時期離れてしまってもまた声をかけてくれた人ともう一度関係を修復したいと思っています。

自分でも持て余してしまう感情を自分以外の人間が理解してくれるというのが無理な話なんですよね。

もし、そばにいてくれるなら少しだけ考えてみてくれたらうれしいです。

 

 


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